ZYX

― Real analog audio world ―


(本文を完結し、音の性質を明確にする為に補充します。多少ともCDのハード、ソフトに携わる業界に対して失礼になるのではないかと危惧しますが、デジタル・サウンドについても検証してみる事にします。)

時間は一定の速さで、止まることなく過ぎ去ります。そして音楽は、時間情報そのものです。更に、音の要素の中の時間軸の成分が、オーディオ・システムの持つ音質と重要な関係にあります。前述のように、音質の90%がこの時間再生の性能に拘わっているからです。オーディオの本来の楽しさ、奥深さは、この時間の再現の追及にあるといっても過言ではありません。クリアーな時間の復調がクリアーな音を再生します。

この神聖な時間の領域に、音声をデジタル処理することに汲々とする余り、音声信号を時間軸で分断(1秒間に約4万個)するといった行為は正しいことでしょうか。そして再生において、デジタル音声の時間軸(Z軸)は、分断された時間片の配列によって再製されます。時間は、1,2,3・・・と数えられる性質のものではなく、常に川の流れのように途切れないものであるのに。

更に自然界にない恐ろしい現象として、切断された音声信号は、時間軸を失った単なる二次元情報(x、y成分のみ)でしかない、ということに注意しなければなりません。前述のように二次元情報の色と同じ性質を持つこととなります。つまり混色ではなく混音といった異常現象が発生します。それはまさに異常な人工音声です。自然の摂理に反した行為への一つの代償といえるでしょう。

デジタル信号による音楽は、この混音の連結によって、再び"アナログに近い"音に戻す操作を経て再生されます。演奏者が一人の場合は混音は起きないでしょう。しかし複数の演奏者による一般の音楽では、必然的にこの弊害は発生します。欧米のスピーカ・システムでポピュラーな全指向性のスピーカで聴くデジタル音は、左右スピーカの中央に音像が凝縮して、全指向性特有の演奏会場を思わせる包み込まれるような奥行きのある音空間が、全く再現されないといった症状を呈します。又、よく耳にするデジタル音(符号音)の苦情、柔らかさがない、堅い、金属的艶がない、ざらざらしている、余韻が少ない、きつい、立ち上がりがあまい・・・等々。これらは混音により別の合成音に変化していることを物語っています。音の変質は問題ですが、この自然に存在しない音を、自然なものと思い又は思い込もうと聴いている人には、どのような障害を与えるでしょうか。特に頭脳の成長段階にある青少年に与える影響は・・・?欧米にはデジタル・ノイローゼという言葉がありますが、非常に心配なことです。

エジソン以来100年余、より原音に近い音楽再生へ、先人が行ってきたアナログ分野での努力と技術の進歩の過程で、電子工学のハイテク技術を駆使できる現在、従来極めて難解であったオーディオの分野で音楽をデジタル化し単純化するという方向は、時代の流れとして必然であったのかもしれません。しかし結局デジタルはその意味する通り、符号でしかないということに、気付かなければなりません。時間を切ったり止めたり神をもしない行為、二次元の映像処理と同じ考えで、三次元の音声処理を行う行為は、進歩の一過程なのかもしれません。時間という神聖な領域を汚すことなく、音の三次元要素を追求していく処に、真のハイテク技術は駆使されなければなりません。